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〝成長したい気持ち″に障がいのあるなしは関係ない 山口綾子(MS&ADアビリティワークス株式会社 事業部マネージャー)

ダイバーシティを進めていく上で、私たちは何を大切にしていけばいいのでしょうか。特例子会社で採用、定着支援をされている山口綾子さんにご自身が大切にされているお考えをお聞きしました。キャリアコンサルタントの資格を取って以来、活躍の場を「自発的に」つくりだしてきた山口さんのお話は、キャリコンの資格をどう活かすかについても大変勉強になります。

山口綾子さん(MS&ADアビリティワークス株式会社 事業部マネージャー)
山口綾子さん(MS&ADアビリティワークス株式会社 事業部マネージャー)

相談業務だけ。そういう働き方をしたい

― お仕事の内容をお聞かせください。

MS&ADアビリティワークスという精神・発達障がいのある方の雇用に特化した特例子会社で採用、定着支援をしています。社員は、全員が精神障害者保健福祉手帳を持っています。また、MS&ADホールディングスでグループ会社向け採用支援、定着支援も行っています。

― どのようなきっかけで、今のお仕事を始めることになったのですか?

元々相談業務をしたいということと、以前人事労務の仕事をしていたときに、無力さを感じたことが大きいですね。

実は6年前まで、今のグループ会社に所属していたのです。三井住友海上あいおい生命という会社で人事労務の仕事をしており、相談業務もしていました。金融業界の企業なのですが、色々なストレスやプレッシャーを抱えている方も多く、メンタル不調になる方も少なくありませんでした。人事でしたから、採用や給与計算など相談業務以外のこともやらなければならず、片手間で相談を受けている状態でした。


その「片手間」に、とてもフラストレーションを感じました。辞めていく人が多かったですから。今振り返ると、発達障がいの診断を受けている人もいて、不適応をおこし、辞めていく人もいました。「もっとできることがあったのではないか」無力さを感じたのです。

東日本大震災もきっかけになりました。当時、社員を帰らせるために、私自身は家に帰らず、子どもは実家に預けました。「こんなことが起きるんだったら、後悔しないように働いていきたい」そう思いました。翌年、相談業務に専念して働いていくために、会社を辞めました。

― 何かプランをお持ちで辞められたのですか?

それが、まったくのノープランで(笑)。勢いだけでした。当時まだ小さかった子どもの子育ても気がかりだったのです。風邪をひいてもすぐに病院に連れていけない。「こんな働き方で、子どもは幸せになるのか?」結局、仕事と子育ての両立ができなかったのです。

で、辞めてから、当時持っていた資格は、産業カウンセラーだけだったので、まずキャリアコンサルタントの資格を取ろうと思いました。勉強する中で、自身のキャリアの棚卸しもできました。取得した後は、相談業務に活かそうと思いました。

― 相談業務も色々あると思いますが、何か特定の分野、年齢層などを考えていらっしゃったのですか?

それまでの仕事では若い方の相談が多かったので、若い方ですね。マイナスの状態にいる人がプラスの状態、せめてゼロになれるよう、そんな相談業務をやりたいと思っていました。

― キャリアコンサルタントの資格を取ってから、どのように活動されたのですか?

大学の就職支援ボランティアから始めました。八王子の大学で、当時藤沢に住んでおり2時間かけて通いました。理系の大学で、発達障がいと思われる方もいました。そのとき、初めて発達障がうを知りました。相談需要の多さも。ほんとに独特で、キャッチボールができない、話す内容を原稿に書いてくる子もいました。どうしたらいいんだろうな、と…。

会社を辞めて同時に精神福祉士の通信教育も始めていたので、そこで勉強もしました。

― 学びながら現場で実践できたのですね。ただ学ぶだけでなく、またただ現場経験を積むだけでもないですね。

そうですね。子どものそばにいてあげたくて、フリーランスみたいに自分でコントロールできるちょうどいい働き方になっていました。

その後、藤沢の若者サポートステーションで相談支援員の募集があって。八王子はさすがに遠かったので(笑)。「生きづらい若者の支援」も要件に書かれていたので、まさに私向きだ!と。実務経験も、ボランティアで2年くらいできてましたので。

それで、電話より直接話した方がいいだろう、と直接伺ったのです。そしたら所長に会うことができ、契約社員として働くことになりました。藤沢市民でしたので、地域に貢献したいという気持ちもありました。

― その募集はどこで知ったのですか?

藤沢市が発行している地域の冊子ですね。あと、八王子でお世話になっていた産業カウンセラーの方が若者支援をしていたのですが、「就職できなかった若い方をサポートステーションにつなぐことがある」と聞いていたので、家の近くにそういう場所がないか、アンテナを張っていました。



自分一人で抱え込まずに、周りを巻き込めば、解決につながる

 ― キャリアコンサルタントの資格も国家資格となりましたが、資格を取ってから、どうしたらいい?という方も多いので、とても参考になります。自分で動くことが大事ですね。

はい、まず動こう、ですね(笑)。考えているだけでなく。

― サポートステーションではどのくらい働いていたのですか?

4年くらいですね。思ったより大変でしたね、本当にさまざまな人が来ました。障がいだけでなく、生活困窮など、どうしていいのかわからないことだらけでした。市の事業だったので、福祉や若者支援の部署と連携してやりました。色々な職種の方々と連携して動くことを覚えましたね。

そのとき、週2日だったので、残りは近くの2つの大学でキャリアコンサルタントとして働きました。最初は派遣で、1校は途中で「ぜひ、直接雇用で」とおっしゃってくださいました。とても忙しかったですが(笑)。

― そのように働いてみて、いかがでしたか?

一番大きかったのは、「自分一人で抱え込まずに、周りを巻き込む、色んな人の助けを借りれば、解決につながる」を覚えたことですね。色んな人を巻き込むことによって、多様な視点で最短の解決策につながるのです。

― 新たな取り組みもされていたと聞いています。

学生相談室とキャリアセンターをつなぐ、「一人ソーシャルワーカー」みたいな役割を立ち上げました。社会モデルと医療モデルをつないでいく役割が絶対必要だと思ったのです。社会モデルは、キャリアコンサルタントもその中に入ると思いますが、社会を変えていこう、人的サポートなどですが、それだけでは解決できない問題もたくさんあります。一方、学生相談室は臨床心理士さんがいるので医療モデルなんです。服薬状況とか、診断状況とか臨床学的な見立てですね。その両者をつなぐ役割が絶対必要だと思いました。つなぐアプローチがどうしてもうまくいかないことがたくさんあったのです。

― 簡単ではないと思いますが、特に難しかったこと何ですか?

大学には教授と職員の2種類の方々がいるため、説得の対象が2つあることです。

職員は学生にも近いしわかってくれるのですが、問題は教授でした。学問と実践は違うと思うのですが、その点のかい離が大きかったのです。理論に照らし合わせて、「だからこうだ」という話になるのです。だから、学生の生の声を先生に伝えながら、教授に会うたびに切々と伝えました。

理解を得るためには、実績が必要です。だから、GATBやYGテストとも一緒に使いながら選択肢の一つとして手帳取得の提案もしました。その中で、障がい者枠で就職する学生がでるようになったのですね。そしたら、今度は教授の方から、私に「この子、見てくれない?」と話がくるようにもなったのです。

キャリアコンサルタントも、理論だけでなく実務、実際のツールなどをどう使う、といったことがとても大切だと思います。

― うまくいかないときなどは、どうされたのですか?

一番最初に支援した学生さんが、手帳は持ってるのですが一般就労を希望してたのですね。会社に通いだしたら1か月で契約終了、試用期間なので解雇になってしまったのです。泣きながら電話がありました。その学生さん、今度は障がいをオープンにして、就職活動して、就職したんです。その学生さんが言ってくれました。「山口先生、働くことと、すごく人が好きになりました。」一番最初に支援した学生さんからそういう言葉を聞いていたので、一度うまくいかなかったからといって、「あきらめずに、もうちょっとやってみよう。これで終わりじゃないんだから。」と思えるようになりました。

― それはとてもうれしいですね。

はい、一番うれしい言葉です。

― 障がいをご本人、ご両親などに理解してもらうのは、とても難しいのではと思います。ご苦労も多かったのではないでしょうか。

そこが一番難しいところです。私がよく伝えていたことは、「障がいは個性」であるということです。目に見えない個性なので、目に見えるようにするツールであり、そのツールを使うことによって可能性が広がるかもしれない、と伝えていました。もちろん、決定は本人がします。


キャリア発達に、障がいのあるなしは関係ない

― 今のお仕事に近づいてきましたね。

フリーの最後の1年は、直接雇用の大学での仕事に専念していたら、今のMS&ADから戻ってこないか、という連絡が来たのです。大学の仕事はそんなにすぐに引き継げるものじゃないし誰もがやりたがる類の仕事でもないでしょうから、1年待ってください、とお願いしたら、「全然待つよ」と言ってもらえて。何といい会社(笑)ですね。

やっぱり立ち上げたからには、これからもちゃんと定着し続けてほしいし、何より思い入れもあります。実際、すごく悩みました。教授や職員からの熱心な引き留めもありましたし。「副業OKなら、週1でも来てもらえないか、と」

キャリアコンサルタントの新しい可能性をつくれたんじゃないか、とも思っていました。キャリアコンサルタントならキャリアだけでなくライフの部分も相談できるのに、企業に入ったらそれができなくなるのでは、なども心配になりました。

インタビュー中の山口さん(右)と片山俊子、一言映子
インタビュー中の山口さん(右)と片山俊子、一言映子

― 決め手は何だったのですか?

従来型の特例子会社でなく、一般企業と従来の特例子会社の間に位置づける形にしたい、という話だったのです。MS&ADグループでは法定雇用率は満たしており、さらにいい形にしたい、そのために新しく立ち上げる会社で、ある程度裁量が任される、自由にできることが、まずありました。

発達障がいの方が一般企業に就職して、一般企業だとマルチタスクで動いていかないといけないので、うまくできないことが浮かび上がって、二次障がいを引き起こす、うつになるという問題を見てきました。そこを何とかしたかったのです。

発達障がい、精神障がいの方専門に採用し、その方たちのできることを伸ばして、できないことはある程度対処法を身につけてもらう、ある程度身につけたら、一般企業のグループ会社に駐在できる、将来的には転籍も視野に入れられる、そのような取り組みができる、という目的があることがわかったのです。

これは、かつて私が人事労務部門にいたときに私が悩んでいたことで、モヤモヤしていたことを解決しようとしている会社だ、と思ったとき、つながったのです。お話を受けました。

― かつてはわからなかったことが、わかったということですね。

ごく最近、やっとわかりましたね。この4月に入社して、さらに9月からグループの一般企業の支援、ヒアリングをしていますが、その内容が、私がかつて悩んでいたこととまったく同じ!なんです。「これ、6~7年前の私じゃん!」って。

障がいのあるなしに関わらず、学生と一般企業の関係がますます難しくなってきていると思うんです。大学は生徒を集めなきゃいけないのでやさしくなってきているけれど、一般企業は求めるものがますます難しくなってきていますよね。大学と企業をどのようにつなげていくか、ということで、最初にお話しした「社会モデルと医療モデルをつないでいく役割」、それができているんじゃないかと思っています。全体的にはキャリアコンサルタントの資格で「キャリア」をみながら、手帳を持っている方には、キャリアコンサルタントと精神保健福祉士で支援を行う、という形の支援、私の場合、キャリアコンサルタントにプラスアルファして、自身の求めることができるようになりました。

― こちらを選んでよかったことは何ですか?

今の立場は採用として雇用する立場なので、つながりが見えたんです。働き方を見ていると、キャリアを積むという意味では、障がいのあるなしは関係ないですね。

その人の可能性を引き出して、できることが増えて、別のステージを用意して、と成長曲線に伴うキャリア発達って、障がいのあるなしは関係ないと思っています。

― これから、どうしたいですか?

障がいのある人のリーダー育成に取り組みたいです。小さなユニットをもつリーダーになってほしい。

障がいのある人も、自分のキャリアビジョンを持っているんです。自分も偉くなりたいなど、希望はあるんです。

今後は、そういうリーダー育成の研修、教育もつくっていきたいですね。

― 自分がやりたいことなど、将来ビジョンを持つためにはどうすればいいですか?

まずは、自己理解と障がい受容です。

できることとできないことをわかる、そのためには自身の障がいを受容する、それは個性なんだと。できないことは助けてもらえばいい、と。

ただ、そういう未来志向の方は少ないです。今まで傷ついてきたこと、あきらめてきたことがたくさんあるんですよね、きっと。でも、できないことは助けてもらえばいい、それによって前に進むことができる、を理解してもらえるような取り組みを進めています。

実際のところ、障がい者だから、とは正直考えたことがなくて、キャリアコンサルタントとしての基本的な関わり方だと思っているのです。誰しも強み弱みがあるし、その度合いの問題かと。基本的な関わり方は、変わらないですよ。 

 関わるときには、特性によってできないのか、経験がなくてできないのか、切り分けています。電話応対などのマルチタスクは、どうしても特性上難しいんですよね。でも、例えば「部長がコワそうだから」など、経験不足から起きていることは、「大丈夫、できるよ」と勇気づけています。本人が言っていることが、事実なのか思い・推測なのかを事実ベースで切り分けることが大切です。

― 説明会もされているのですね。反応はいかがですか?

一度やった後に、対話型の説明会にしたら、応募者が激増しました。就労移行支援施設の間の口コミの威力が強力でした。彼らも2年以内に就職を決めないといけないので、必死ですね。

伝え方って大事だな、と思いました。

― ぜひ、これからもがんばってください。ありがとうございました。

インタビュー後の山口さん(左)と片山俊子
インタビュー後の山口さん(左)と片山俊子

ーー山口綾子さん プロフィールーー

キャリアコンサルティング技能士2級・精神保健福祉士・産業カウンセラー。

大学卒業後、株式会社オリックスに入社。M&A事業の人事領域業務に従事後、三井住友海上あいおい生命保険株式会社へ転職。人事部での採用業務や社員相談業務、女性活躍推進事業の立ち上げを経て、メンタルヘルスカウンセラーおよびキャリアコンサルタントとして独立。困難を抱える若者を対象に若者サポートステーションや大学にて、メンタルとキャリアの両面に働きかける就労支援を務めた。その後、前職グループ会社の再雇用制度を利用してMS&ADアビリティワークスへ入社。現在、障がい者採用および社員相談業務に従事し、障がい者雇用管理や障がいを持つ方のキャリア支援に関する調査研究に取り組んでいる。

――――――

インタビュー担当:片山俊子、一言映子、書記:上坂浩史

インタビューを終えて

丁寧にご自分の内なる声に耳を傾け、妥協することなく、今選ぶべきことを決めていらっしゃる山口さん。チャンスの神様の前髪をしっかり掴んで、人生を切り開いているお話を伺い、スタッフ一同胸が熱くなりました。(片山)