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自身の過去を振り返る、「未来」に踏み出すために 小倉克夫(日本キャリア・コンサルタント協会 副理事長)

私たちはみな生きていく中で、色々な転機に直面します。そのとき、何を考え行動するか?会社員として働き大病を乗り越えてきた小倉克夫さんが過去をふり返る中で、転機で得た大切な考え方をお聞きしました。

小倉克夫(日本キャリア・コンサルタント協会 副理事長)
小倉克夫(日本キャリア・コンサルタント協会 副理事長)

自分で切り開かなくては~自分で決断して行動する

―人生の転機というテーマで、お話をお聞かせください

僕は色々なところで、キャリアのことを話しているので、結構、整理されている方だと思う。キャリアと人生を考えると、僕の転機は二回あった。一度目は35歳の時だった。僕は幼少期からの自分のことを自分史としてまとめ、500部ほど自費で本を制作して心を許せる人に渡した。最初の一冊は、母親のお棺の中に入れたよ。その後の僕は、すっかり人生の、生き方のスタイルを変えた。


―お母様の死と人生の転機とはどのように結びつくのでしょうか。

母親は僕にとって、母親以上の存在だった。恩師であり教師であり、仕事の悩みを相談していたこともあった。ある意味カウンセラーだったし、助言をしてくれる相談相手だった。

―お仕事上の悩みも相談できた、間柄だったのですね。

35歳の僕は結婚して子供もいたし、会社では入社12~3年、会社も家族も大事な時期だった。それまでは、困ったとき、岐路に立ったときなどには、母親に相談していた。その母親を失って、自分でやるしかなくなり「自立した」ということだと思う。「俺がやらなきゃしょうがない」、他人任せにせず、自分が切り開かなくては人生ダメだなと考えるようになった。誰も頼りにしなくなった。マザー・テレサの言葉のように、自分の気持ちも性格も行動も全て変わっていたと思う*1。今の僕につながる、「人に相談するのではなく自分で考えて、自分で決断して行動するというスタイル」ができたのがその時だったと思う。

―35歳の転機を一言で言うとどんなことでしょうか?

「生き方のスタンスを決めた」ということだったと思う。誰しも、自分の生き方をどうして行こうか迷うでしょう。困難な時にどう対応するか行動するかというのは「スタンス」だと思う。価値観よりも現実的なもの、骨みたいなものができた。


*1 マザー・テレサの言葉:

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。



「天に生かされた」、だからこそ、みなが幸せになるグッドジョブを重ねたい

 ―2度目の転機についてお話いただけますか?

52歳から3年間、難しい病気で闘病した。3回手術して、計1年半、会社を休まざるを得なかった。その後の僕は考え方も価値観も変わった。

―闘病生活が小倉さんを変えたということでしょうか。

病気をしなければ、会社は辞めていなかった。入院生活っていうのはたっぷり時間があるでしょう。自分のことばかり考えていた。今まで何をしてきたんだろう、これから何ができるんだろう、何のために生きているのか、自分について、自分の人生についてずっと考えていたのだから、自己理解が進んだということだね。僕の場合は、病が癒えて外に出られるかどうかが分からない中で、「もうこれからは自分のやりたいことをやって生きていこう」と決めることができたのだと思う。それでなかったら、半年後に退職なんてできなかった。

インタビュー中の小倉さん(左)と一言映子
インタビュー中の小倉さん(左)と一言映子

―57歳で退職された時点で、やりたいことは決まっていたのですか?

おぼろげながら、あった。会社では人事、宣伝を希望したことがあったけれど、やれなかった。学校の先生とかもやりたかったことの一つ。しばらくの間、暗中模索していたが、振り返るといろいろな人との出会いや思ってもいない出来事があった。

―キャリアコンサルタントに行きつくまでは何年くらい?

2年くらい、59歳かな。実は、コーチングは会社にいたころからやっていて、コーチングをやらなかったら、今日はないと思う。

―キャリアコンサルタントでは指導者もされました。人に係る仕事に変わられましたね。

憧れがあった。研修を受けると講師を見ていて、僕だったらああするこうすると思ったことをメモに残していた。それが、後の研修の仕事で役立ったりしている。

インタビュー後、左から上坂浩史、小倉さん、一言映子
インタビュー後、左から上坂浩史、小倉さん、一言映子

―1度目の転機は「人生のスタンスを決めた」とおっしゃいました。大変なことを乗り越えてからの、2度目の転機を一言で言うとどうなりますか?

「この先の人生をこう生きていこう」いうことを決めたということかな。結核菌が骨に入る病気なんて、1年に1人くらいらしい。その病気になった僕は、そこから後はおまけの人生かもしれないと思っている。闘病中、いくつかの奇跡があってね。1回目の手術の朝、妻が家を出るときに白い蛇を見た。おふくろが蛇年でね。妻は「お母さんが来たんじゃない」と言っていた。2回目の手術で寝たきりを回避でき、その後、薬が効いて菌が消滅した、全部、奇跡だよね。だから、今、僕は天に生かされているな、と感じている。生かされている以上は報いていきたい。社会に貢献したい、皆が幸せになるように、グッドジョブをしていきたい。


ーーーーーー小倉克夫さん プロフィールーーーーーー 

NPO日本キャリア・コンサルタント協会 (JCCA) 副理事長、東海大学非常勤講師。

富士フィルム株式会社でマーケティング、プランニング、営業を担当後、同社関連企業の社長を経て現在に至る。「働くことと人の心とのかかわり」を活動テーマに、企業研修や各種カウンセリング、コーチングなどの活動を行っている。著書に、『社内突破力』(翔泳社)、『キャリア形成1・2』(共著、東海大学出版部)など。

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インタビュー担当:一言映子、上坂浩史、書記:片山俊子

インタビューを終えて

1年に1人の難しい病気で3回の手術。それでもあきらめない不屈の精神の根底には、「自分で切り開く」という「スタンス」があるからだと感じます。話を聴いて助言してくれたお母様。その役割は、まさにキャリアコンサルタントです。私たちキャリアコンサルタントが、より多くの方にとって、自身に気づき支援する存在になれればと思います。(上坂)


「七転び八起きのキャリアデザイン」小倉克夫さん出版のご紹介

私たちの働き方、生き方は、大きく変わりつつあります。終戦から高度成長、または明治維新では、社会システム、生活習慣、価値観など、あらゆるものが「目に見えて」劇的に変わりました。それに比べると、働き方、生き方は、1人1人の内容が異なるために、「変化が見えづらい」「他者を参考にしづらい」と思われます。私たちそれぞれが独自の「未来設計図」を描く、そのためにどうすればいいか、何を考えればいいかなどについて、読み進めてもらうことができます。

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