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「企業と消費者の間にあるギャップを埋めることが私の使命」大切なキャリアの軸  広野郁子(マーケティングコンサルタント)

時代の壁・予期せぬ環境変化を乗り越えて、37歳でマーケティング会社設立。均等法前の就活にはじまり、育休、子育て、転勤など、たくましく柔軟に乗り越えて、ご自身の信念を持ってキャリアを築いてこられました。現在もマーケティングコンサルタントとして活躍されています。

 

 

 均等法も育休もない時代にキャリアをスタート

 ― 1986年に情報誌出版社に入社。男女雇用機会均等法が施行された時ですね。

 そうなんですが、私が就職活動をしていた時は「均等法前」で、学卒女子の就職先は少ない状況でした。結婚して妊娠がわかって1990年に辞めざるを得なかったんですが、その後に育児休業法ができました。娘が3歳になった翌年には、神戸市で3歳までの医療費無料制度ができて。なんていうかタイミングがギリギリアウトで。就活も、出産も、子育て支援もまだ無い、いろいろな「壁」がある境遇でした。ちょうど「時代の境目」だったのかなと思います。

― 出産で退職、神戸で子育てをされていました。

当時は、どうしようもなくて出産を機に退職しましたけれど、仕事に対する思いは持っていました。情報誌出版社で住宅情報誌を担当したとき、バブルの絶頂期で、その後、崩壊したんですね。そのとき、情報を持っている業者は売り抜けて、損をしたのは消費者だったのを目の当たりにしました。当時、25-6歳でしたが、将来は、消費者と企業の持っている情報を共有する、ギャップを埋められる仕事がしたいと思いました。これは今も私の使命、キャリアの軸になっています。

子育て中に、それこそ娘が赤ちゃんの時、「企業と消費者の架け橋」という言葉に惹かれて、消費生活アドバイザーの資格をとったんですよ。

インタビュー中の広野郁子さん(マーケティングコンサルタント)
インタビュー中の広野郁子さん(マーケティングコンサルタント)

 

― キャリアの早い段階で、ご自身の軸ができていたのですね。

娘が3歳になって、兵庫県の消費者機関で働きました。ここの生活情報プラザは、「消費者は今までは守るものだったが、これからは消費者も情報を持つべき」というコンセプトだったので私の想いにピッタリでした。

まだ、インターネットがない時代で、本や雑誌を取り揃えていて、要望に応えて適切な情報を探して渡すという仕事をしていました。図書館のような場所でしたが、どこに何があるか覚えきれないので、データベースを作りました。

嘱託で週4日でしたが、徐々に仕事が認められた頃、1995年1月阪神・淡路大震災で自宅が半壊、タンスの下敷きにもなりました。震災後は、被災者のケアのための「ファックス・ネット」をつくりました。これは、どういう情報が日々必要だったかという「なまなましい記録」として、後に国会図書館に入るようなものでした。

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・男女雇用機会均等法(雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等女子労働者の福祉の増進に関する法律)(1985年制定、86年4月1日施行)
・育児介護休業法(育児休業、介護休業等育児又は家族介護を行う労働者の福祉に関する法律)(1991年成立、92年4月1日施行)―――――――――――

 


チャンスはピンチの顔をしてやってくる ―ぶつ切りになっていくキャリア

― 震災を経験されて大変でしたね。でも、お仕事は充実していた。

実は、震災直前に夫の転勤が決まっていたんです。1年延期されて、翌年の春に静岡に転居しました。嘱託という立場で、3年間懸命に働き、認められてきたそのタイミングでしたから、せっかく築いたキャリアがバ~ンと潰された感じでした。でも、娘が小学校に入るタイミングでしたし、本当に泣きながら、神戸をはなれました。

― パートナーの転勤で、神戸で築いたキャリアを手放さざるを得なかった。

そうですね、再び手放しました。転居後は、夫と娘が出かけると、私だけ居場所がなくて虚しく、やるせない日々でした。そんな折、前の職場の上司から、「静岡の電機メーカーで消費生活アドバイザーを探している」と聞き、応募しました。

そのときの採用面接で、「いろいろ、バラバラな仕事をしてきていますね」と言われ、「バラバラに見えるかもしれないが、消費者と企業の間にあるギャップを埋めたいという軸はぶれていない」と答えたのを覚えています。嘱託とは言え、初めて文系の女性を総合職で採用していただいたと後で知りました。

広野郁子さん インタビューの様子
広野郁子さん インタビューの様子

― 電機メーカーでは冷蔵庫のマーケティング担当のお仕事でした。

前任者が辞めて空席だったので、女性視点、主婦の経験を活かして、工夫して少しずつやっていきました。あるとき、「冷凍庫を大きくする」という提案しました。省エネ競争の最中だったため、なかなか受け入れてもらえませんでした。そこで、営業部の新米主婦たちに会議室に集まってもらい、営業部・製造部の方たちに主婦の生の声を直接、聞いてもらうことにしました。そして、冷凍の新しい温度帯「切れちゃう冷凍」が誕生しました。本当にやりがいのある時間を過ごしました。

泣きながら神戸から静岡に来たんですが、神戸の仕事のつながりでこの会社に入って、素晴らしい開発の経験をしました。ここでの経験が、私のキャリアを形成する上でのkeyだと思っています。まさに、「チャンスはピンチの顔をしてやってくる」と私は思うんです。


― 再びピンチがやってきたんですよね。

3年後に再び夫の転勤で関西に戻ることになったんですよ。その時は、自分だけ残れないかと考えたりもしました。結局は家族で戻るんですが、同じ会社の関西にある(携帯電話の)部門に雇っていただきました。静岡での実績があったので、当初は周囲に煙たがられました。膨大な調査データを分析して予測を出しましたが、はじめは見向きもされませんでした。それでも、徐々に周りが変わっていき、多くの関係者にマーケティングの重要性が認知され、消費者の意見を肌で感じながら、一緒にものづくりに取り組むようになっていきました。

この職場でも新しい挑戦を沢山しましたし、鍛えられましたね。その後、有限会社アイ・キューブを立ち上げて、サイドから企業を支える形態に移行しました。

 

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「消費者と企業の架け橋」、続けていけるのは私の使命だから

― 最初は出産、パートナーの転勤で2度、ご自身のお仕事が変わりました。

「何で私の仕事を奪うの?」と思ったことがありました。それこそ、神戸を離れるときは本当に泣いて、泣いて、仕事を変わらざるを得なかった。新しい職場に入るたびに社風も異なりますし、職場によって雰囲気も違いましたので、いろいろな苦労もありました。

今、思うと、そうやって繋がりが広がって、色々な方との出会いがあったなと。今、アイ・キューブとして、いろいろなことができる礎(いしずえ)になっています。

― 乗り越える力はどこからきたのでしょうか。

私自身、「半年がんばったら、何か見える」、「とりあえず半年はやってみよう」という、そういう考えがあったと思います。「命をとられるわけではないし…」と乗り越えてきたように思います。実際に無理難題を言われたこともありました。上司から、「やるか、やらないか、それだけだ」って言われた時、「やらない」と言うのが悔しくて、「やります」って言う自分がいました。大変なことがあっても、いつも、誰かしら味方がいて応援してくれていたと思えるのも、幸せなことだと思います。

― いつも、全力で臨んでいらしたように感じました。

常にストレッチしてきた感じはありますね。「いつも120%で走っていて、しんどいだろう?」と言われたこともありますが、性分なので仕方がないですね。でも、120%で走っていると、いつの間にかそれが自分の100%になると思います。

― 一貫して、消費者と企業をつなげるお仕事をされてきました。

震災後に、ローンの情報が銀行から出たときだったでしょうか、色々な情報を一覧表にしたり、軸を作って整理したりしていたのですが、それを大変、褒めていただいたことがありました。私は伝えようと必死で、実際にはだれでもやろうと思えばできることなのですが、「なかなかできないことだ」と言っていただきました。今でもやっていることは同じです。一覧表にしたり、軸を作ってプロットしてみたり、情報の整理をすることで見えてくることがある、伝わるようになる、それがマーケティングの仕事の基本だと思います。

― お仕事をする上で大事にしていることを、教えてください。

マーケティング担当者は、常に客観的でいることが大切だと思っています。たとえ、開発側にとってあまり良くない情報でも、「消費者はこう言っています」ということをマーケティング担当者の責任としてきちんと示す。私たちの使命と感じています。アイ・キューブの仕事では、企業の中にいる方が見えないこともあるので、外から客観的な意見を提供することが使命だと、確固たる信念をもって、今も戦っていますよ。

ー ありがとうございました。

インタビューを終えて 広野郁子さん(右)と一言映子
インタビューを終えて 広野郁子さん(右)と一言映子

――――広野郁子さんプロフィール――――

株式会社アイ・キューブ 代表取締役

神戸市出身。関西大学卒業後、株式会社リクルートに入社。就職情報誌事業部、住宅情報オンラインネットワーク課で活躍も、出産のため退職。消費生活アドバイザー資格取得。夫の転勤に伴い静岡に転居。三菱電機株式会社静岡製作所で、冷蔵庫のマーケティングを担当。日経ヒット商品賞金賞を受賞した「切れちゃう冷凍」の開発に携わる。再び夫の転勤で神戸に転居し、同社の携帯電話の商品企画・マーケティングを担当。その後、2001年12月株式会社アイ・キューブを設立。様々な企業をサイドから支援するマーケティングコンサルタントとして活躍している。

株式会社アイ・キューブ HP http://www.ai-cube.co.jp/

広野さんからのお知らせ

「この度、私の初めての本が出版されることになりました。「女性キャリア」「起業」「女性活用」などなど・・・この本のテーマに沿うものでしたら、どこにでも参りますので、お声掛けください。」

「60点女子」最強論:しなやかな生き方で豊かな人生を目指す(広野郁子著)https://www.amazon.co.jp/dp/4772661328

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インタビュー担当:一言映子、上坂浩史、書記:片山俊子

 

インタビューを終えて

出産での退職、夫の転勤など、度重なるキャリアの分断というピンチをチャンスに変えて、ますます輝いている広野さん。キャリアの軸(キャリアアンカー)をしっかり持っていたからこその現在なのだとよくわかりました。静岡時代に一緒に仕事をしましたが、今回の企画で再会し一回り大きな存在と感じました。

一言映子