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信じた道を、自分を信じて突き進む 岩下賢作(岩下賢作事務所 室長)

49歳での突然のリストラ。家族のために「コンチキショー!ここで終われない」と、がむしゃらに働く中でつかんだもの、不安定な状況でも、しっかりと自身の人生と向き合って手にした大切なものは何か。人生100年時代をいかに自分らしく生きて行けるかのヒントがぎっしりとつまっています。〝偶然″は偶然にあらず。


まさか自分が…49歳で突然リストラに

 ― 人生の転機について、お話しいただけますか。

49歳のとき、会社の業績が芳しくなくリストラされました。当時、中堅出版社の役員で編集部長でしたが、本の世界は、本が売れないと責任をとらなければいけない。「まさか自分が」、と思いましたが、それが会社の非情なところ。長く貢献してきた自分がコストとしてしか思われていなかったことが、当時は無念に思いました。

正直、リストラで辞める前の2~3年は、中だるみでモヤモヤした時期を過ごしていました。60歳以降の先が見えなかった。もちろん一生懸命やっているんだけど、何をやっても、やったという満足感がなかったんです。

50歳からの10年は、やみくもに働きました。当時、娘は高校生でした、無事に歯学部に進学し現在は歯科医師です。サラリーマンだったときは給料日にお金が自動的に振り込まれますが、フリーランスは収入が安定しない。でも、娘の夢が私たち夫婦の生きがいでもありました。本の世界は、本ができて振り込みがあるまで1~2年かかります。形にならないとお金にならない世界。蓄えがないと厳しい世界です。編集の仕事が天職というのはうわべのことで、生活のために働きましたね。それまでの小さな栄光を捨てて。

岩下賢作さん(岩下賢作事務所 室長)



― 他の仕事に就こうかと迷うこともあると思いますが、迷わずにずっと編集の仕事をされてきたのですね。

いえ、大いに迷いました。でも、他につぶしがきかない。会社を辞めた後、仲間に口をきいてもらって、大手出版社で2年仕事をしました。嘱託でもなく、フリーの編集者として。ですから、やったことに対する結果はすべて自己責任で、上司のフォローもあまりなかったです。仕事があったことは感謝していますが、孤独感もありました。自分の居場所がありませんでした。

本の世界は自分の思いを読者にどう伝えるかが基本ですが、読者が見えてこなかった。小さな出版社では、営業から書店の状況を聞いて、編集仲間と企画をもんでいけましたが、そのときはそれができなかった。組織の編集者とフリーランスの違いというものを、自分がフリーになってはじめて「こんなに大変だったんだ」と気づきましたね。

次に、国際協力機構から委託された某法人の編集長を3年弱やりました。世界中に派遣された人たちの活動状況を伝える広報誌です。それまでとは仕事の内容がまったく違いました。お金を稼ぐ出版ではなく、開発途上国援助を一般に広報するための出版でしたから。

アフリカやアジアなどの途上国にも行きました。ただ、体力的にも年齢的にきつかったので、途中でリタイアしましたが、自分の人生観を一変させるものでした。たとえば、途上国に支援しているつもりが、訪問した先々の子供たちの笑顔に、逆に励まされることが多かった。一生の心の財産になりました。

途上国へ行く人はみなピュアで、拝金主義の人はいなかった。効率よりも、人として幸せとは何かをいつもおしえてくれました。「働く」とは、意外とこういうことかなと気づきました。

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コンチキショー!ここで終われない

― リストラされた後に、フリーランスの働き方や途上国へ行く人の純粋な思いに触れたわけですね。そこから今につながっているものはありますか?

今につなげるというより、深堀りしたいと思い、遅まきながら心理を学ぼうと、55歳から産業カウンセラー、キャリアコンサルタントの勉強をして、資格をとりました。結構、お金もかかりましたが、学びは楽しかったですね。そして、中堅の版元に1年。この時、娘が大学生。がむしゃらに頑張りました。

その後、組織で生きることは年齢的に難しいと考え、自分で企画事務所をつくりました。運よく、本が売れて今につながっています。そして、私がプロデュ―スした著者の何人かは、それまで無名でしたが力のある方ばかりで、その後、皆さん大活躍しています。編集者として、一番の醍醐味です。

ある会社の社長さんから、「ウチの名刺を使って著者に折衝してもいいよ」と言ってもらっていました。20代からお付き合いがあった方で、昨年亡くなられたのですが。「岩下事務所」だと相手にしてもらえない著者にもアプローチできました。今思うと、私の一番のメンターでした。

私の半生は浮き沈みがたくさんありました。月並みですが、編集の仕事が「メシより好きだから」やってこられた。そして、いつも「コンチキショー!ここで終われない」という負けず嫌いなところが、バネになっていたような気がします(笑)。


― まさに、プランド・ハプンスタンス*ですね。

がんばれば、きっと何とかなる!人は見ていてくれる。まさに、プランド・ハプンスタンスだな、と感じますね。自分の好奇心、挑戦の賜物ですね。プランド・ハプンスタンスは棚ぼたで単純に降りてくるものでなく、自分から仕掛けるから起きるのかな。最近そう思うようになりました。自分の中で意識していないようでも、きっと仕掛けていたんだな、と。きっとそうだと思います。国際機関の仕事、メンターから名刺をもらえたのも、考えるより動く。具体的に何をどうしたかはよく覚えていないけど。

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*プランド・ハプンスタンス(スタンフォード大学クランボルツ教授らが1999年に提唱)

キャリアは偶然の出来事、予期せぬ出来事に対し、最善を尽くし対応することを積み重ねることで形成されるというもの。(「コトバンク」より引用。)

人生100年時代へのメッセージ

― これからの夢は?

「臨終定年、生涯現役」が私の目標。今、68歳ですが、体力があるかぎり現役でいたい。2年前、私がプロでュースし、ベストセラーになった弘兼憲史氏の『弘兼流60歳からの手ぶら人生』、『50歳過ぎたら「まあいいか」「それがどうした」「人それぞれで」いこう』のようなシニア向けの本。そして、禅や東洋思想が昔から好きなので、そういう切り口で100歳時代を生き抜く術を知識やスキルではなく、知恵のような思想本を創るのが夢です。実は、30代の頃、何冊か「100歳の本」というものをつくりましたが、当時は若かったから分からなかったものが、68歳の今はリアルに見えてくる。昔とは、見える景色がまるで違う。年を重ねたせいでしょうかね。修論のテーマにもしようと考えています。


― シニア向けの本を通して、どういうメッセージを伝えたいですか?

歳をとっても、人は社会性がないといけないと思います。定年後、もうこれで終わりか、と人生の終止符をうつ人は、頑固になったり、人のせいにしたり、自罰の人生になったりしやすいのではないでしょうか。誰かの頼りにされる、愛されないと、せっかくのキャリアがもったいないです。そのためには、自分が自立、自律して社会性を持っていないと。そんな信条を訴えていきたい。「人生はいつまでも未完成、臨終が定年」だと思います。そう考えるほうが楽しいのでは。年金生活者でも、自分のできる範囲で生産者目線で役に立ちたい。これからの若い人、子や孫のためにも。

― ここまで続けてこられた自負は?

冒頭の話と多少矛盾しますが、ホントの意味での心の芯から出てくるプライドがないと編集者はできないかもしれません。若いころはそれも捨ててきたような気がしますが、譲れないところは譲らなかったような気がします。これは編集者に限ったことではないと思います。人に対してのプライドでなく、自分に対してのプライド、矜持(きょうじ)ですね。「自分はこんなものじゃない。」それが「なにくそ!」につながるのかもしれませんね。

- 大変な中でも、ここまでがんばってこられた理由をお聞きできたように感じました。他人に対してではなく、自分に対して、「なにくそ!」なのですね。

そうですね。私も今そのように腹落ちしました(笑)。

 
― 40歳代の方へのメッセージはありますか?

40歳代は会社の中で、自分が本当は嫌でも、合わせないと浮いてしまう。他律を強いられる。そのために、1つでも会社と違う世界を持つといいと思います。定年までぶらさがっても、それだけではその後の人生が開けないような気がします。会社べったりでなく、会社を利用するくらいでいいのでは。自分のあるがままの心の声を聞くといいと思います。「自分が疲弊するまでがんばっても、会社はそこまで期待していない。」心の病で人生をつまらなくしてしまうなんて、悲しい。

自分へのケアも必要ですが、人への思いやりは絶対なくしてはいけないと思います。一生懸命やっていれば、見てくれている人が必ずいると信じて。「ああ、この人応援したいな」それがプランド・ハプンスタンスの「働きかけ」だと思います。逆境だから発揮できるそのチャンスを見逃さないでください。人生一度きり、つらい時こそ、矜持を持って、生きていってほしいですね。

 
― 今、プロデュースしている本は?

この4月(2019年)に出る『人生に、上下も勝ち負けもありません~精神科医が教える老子の言葉』(文響社刊)をプロデュースしました。元防衛医大病院長で精神科医の野村総一郎先生の本です。先生が45年、およそ10万人の患者さんを診てきて、最近、老子の言葉で寛解する人が多くなっているそうです。今の時代、西洋の認知行動療法と併せて、東洋の知恵が求められているようです。人と比較しない、ジャッジしない思考は、特に、中高年以降の心の処方せんだとおっしゃっています。

 ― 人生100年時代を生き抜くには、大切な指標ですね。ありがとうございました。

 

――――岩下賢作さんプロフィール――――

岩下賢作事務所 室長

早稲田大学教育学部卒。株式会社青春出版社、株式会社大和出版 常務取締役・編集部長を経て、株式会社講談社、JICA青年海外協力隊*月刊誌「クロスロード」編集長、株式会社PHP研究所を経て、2007年フリーの出版プロデューサーとして独立。12年間で書籍170点、累計総発行部数350万部超。2018年、東京経済大学大学院にシニア入学。シニアのキャリア開発を研究している。趣味は禅とカラオケお遍路。

*「青年海外協力隊」は当時の呼称。


インタビュー担当:片山俊子、書記:上坂浩史

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インタビューを終えて

家族のために歯を食いしばって前に進んでいる姿が目に浮かぶ一方で、「やらねばならない」に押し潰されるのではなく、「やりたい」を味わう心の余裕と編集者としての矜持(自分に対するプライド)がひしひしと伝わってきました。まさに、〝偶然″とは、自分で仕掛けた〝必然″ですね。(片山)